弘誓寺の大銀杏 篠山市
篠山盆地最西部(JR篠山口駅近く…)に位置する奥谷山(大沢城)-音羽山周辺に佇む小山塊を登山対象にする人は 少ないが槙ヶ峰を最高点に東尾根を谷山城迄は直線3km余りの稜線が続く。尾根の北面は篠山川を挟んで東西に長い篠山盆地を望み
亀岡方面から古市・社を小野市へ播磨路を三田・有馬へ攝丹要衝を結ぶ街道がとおる。八上城の西方を固める付城群とJR篠山口裏山の宇土観音へ沿道に”槙ヶ峰千軒坊古蹟:宇土観音”看板が立つ。
仁王門を潜った境内から本堂迄の中央を陣取る一本の見事な大銀杏の巨木が印象に残る。槙ヶ峰の麓に建つ宇土観音・清瀧山弘誓寺(ぐぜいじ)は”病気封じ”にご利益ありとされ:孝徳天皇の大化・白雉年間(645-654)法道仙人開創を伝える古刹。
当初は天地山極楽寺を称し「槙ヶ峰千軒坊」と云われ多くの僧坊堂宇の建つ仏法の霊地だったが寿永元年(1182)源平の兵乱(…とあるが寿永3年(1184)のことか。源義経が京街道を一ノ谷に急ぐ途中の三草山合戦で知られ、宇土を通過の際
千軒坊に平家の伏兵ありと見てか義経軍の兵火に遭い全山焼亡したが極楽寺本尊の聖観世音菩薩像は滝のそばにあったのでその水底に隠され難を逃れ後中興:室町期文明5年(1478)曹洞宗として再建・再興されたとき本尊として祀られ清瀧山弘誓寺と呼ぶようになった。
宇土観音の多宝塔裏手から「西国33所観音霊場巡拝」案内板を見て山道を辿ると、右手に錫杖・左手に空鉢ならぬ未敷(みふ)蓮花。蕾状態の蓮花が未だ修行中を示すものか?法道仙人立像が立つ位置から逆打ち巡拝コースの分岐点。
どちらの道をとっても槙ヶ峰北尾根端の東屋休憩展望所に着くと尾根筋は改変されているが吹城に対峙する明智群の付城と思える宇土砦290m。一方道なりに槇ヶ峰(東峰)を目指せば手前(西北)尾根上に宇土城 401mがあるが此処では割愛する。
亀岡方面から古市・社を小野市へ播磨路を三田・有馬へ攝丹要衝を結ぶ街道がとおる。八上城の西方を固める付城群とJR篠山口裏山の宇土観音へ沿道に”槙ヶ峰千軒坊古蹟:宇土観音”看板が立つ。
仁王門を潜った境内から本堂迄の中央を陣取る一本の見事な大銀杏の巨木が印象に残る。槙ヶ峰の麓に建つ宇土観音・清瀧山弘誓寺(ぐぜいじ)は”病気封じ”にご利益ありとされ:孝徳天皇の大化・白雉年間(645-654)法道仙人開創を伝える古刹。
当初は天地山極楽寺を称し「槙ヶ峰千軒坊」と云われ多くの僧坊堂宇の建つ仏法の霊地だったが寿永元年(1182)源平の兵乱(…とあるが寿永3年(1184)のことか。源義経が京街道を一ノ谷に急ぐ途中の三草山合戦で知られ、宇土を通過の際
千軒坊に平家の伏兵ありと見てか義経軍の兵火に遭い全山焼亡したが極楽寺本尊の聖観世音菩薩像は滝のそばにあったのでその水底に隠され難を逃れ後中興:室町期文明5年(1478)曹洞宗として再建・再興されたとき本尊として祀られ清瀧山弘誓寺と呼ぶようになった。
宇土観音の多宝塔裏手から「西国33所観音霊場巡拝」案内板を見て山道を辿ると、右手に錫杖・左手に空鉢ならぬ未敷(みふ)蓮花。蕾状態の蓮花が未だ修行中を示すものか?法道仙人立像が立つ位置から逆打ち巡拝コースの分岐点。
どちらの道をとっても槙ヶ峰北尾根端の東屋休憩展望所に着くと尾根筋は改変されているが吹城に対峙する明智群の付城と思える宇土砦290m。一方道なりに槇ヶ峰(東峰)を目指せば手前(西北)尾根上に宇土城 401mがあるが此処では割愛する。
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