高倉神社 丹波市山南町

高倉神社は隠れ紅葉の名所…と云うよりは神社境内の社務所西向いに立つ・枯れかかっているように?白っぽいのは樹皮の色からか?、花期が6-7月なので落葉によるものか?。フシギな一本の木県指定の天然記念物”フジキ”が県下第二の巨木で暖地に多く育成する木だが県北部山地にあることは稀。
             高倉神社
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根回り6.8m・目通り幹周り3.5m・樹高20m・推定樹齢は約450年と云い山南町指定文化財(昭和51年12月9日)・県指定文化財(平成5年3月26日)となっている。珍しいと云えば、温暖な海岸近くに育つウバメガシの群落を西脇市・篠山市今田境の内陸部の丹波山塊:西光寺山にみられる。「鬼こそ」の寺:常勝寺から地区内の道を
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東へ抜けると”首切り地蔵尊”に向かう車道に出る。東側向いの山裾を詰め上がると東山・鍋倉城(太田城)がある。数ある丹波市内の城砦群のなかでも曲輪に石積(主郭切岸の補強)遺構を見るが石積み・石列の例は少なく珍しい!?。高倉神社は元は町内金屋に鎮座し玉巻城の城主:久下氏が崇敬し帰依し保護してきた神社。
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久下氏は舒明天皇の皇子:磯部親王の末流で多田満仲の子を養子とし武蔵国(現:埼玉県熊谷市)を本貫地とし武蔵7党に属した豪族。治承4年(1180)伊豆国で平氏打倒の兵を挙げた源頼朝が石橋山合戦(箱根)に敗北し再起を図り土肥の杉山!?で挙兵の際:大庭氏に属していた久下次郎重光(熊谷次郎直実の兄)が手兵を率いて真っ先に
         斗栱の板支輪?にも彫刻されている…      
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頼朝の陣営に馳せ参じ・その忠誠を賞賛し一番旗と家紋を賜って後:承久3年(1221)新補地頭として武蔵国より一族挙げて此処栗作郷(後:久下庄)の玉巻に入封。久下城(玉巻城)が築かれたのは直高の4代:南北朝期久下時重のとき。足利氏に属し元弘3年(1333)4月後醍醐天皇の令旨を受けた足利尊氏が北条氏の六波羅軍を
          白っぽい手前の木がフジキ (2010.11.22)
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攻めるため丹波・篠村八幡宮(亀岡市)での旗揚げにも1番に馳せ参じた。足利尊氏が建武3年(1336)新田義貞らに敗れて丹波に逃げたとき、および観応2年(1351)弟直義と争った観応の攪乱に孤立し嫡子義詮と丹波に逃れたときも時重は尊氏・義詮父子を石龕寺城によく防護した。久下氏の隆盛も応仁の乱以後は衰退。
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信長による天正の丹波攻め(黒井城攻略)には播磨国境の最前線:久下重治が玉巻城の奮戦するが落城。玉巻城に呼応する鍋倉城に居城したのは大田大和守とも・片瀬近江守ともされるが城史については不詳。明智の丹波攻めに此処に合戦があったかも不明だが!?高倉神社は元:金屋から弘治3年(1557)現在地に遷移された。
            (2010.11.22)
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天正7年(1579)丹波攻め”による明智の軍勢に、降伏よりは討死覚悟の最後の一戦を…と。「残念なるは高倉明神の事…我打死せば 誰が御守護仕るか…」玉巻城最後の城主:久下重治が 高倉神社の事を気遣った遺言状が伝えられている。

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