鞍掛石 丹波市

2026年の干支は午(しかも60年に一度の丙午)・先に篠山市の春日神社絵馬堂の黒神馬を載せたが、丹波市には明智光秀「丹波黒井城攻略」に高見城落城時:城主赤井新五郎忠家(荻野直政の甥)が再起を期し岩尾城山麓の北方:五ヶ野の村奥に逃がれた「五郎塚」伝承がある。斃れた愛馬を弔い・自身も此処に自刃したとして
             五ヶ野の五郎塚・馬塚
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馬塚・五郎塚を祀り・一時期篭堂に隠れ傷が癒えると京を?指して村を去ったという。また岩尾城の合戦記述は殆ど見ないが…最後の城主:作右衛門尉師季(和田日向守齋頼の子)も明智光秀の援軍(三木城包囲中)として丹羽長秀等の攻撃を受けて落城した。小新屋観音石金山登山口への分岐点の”くらかけ公園”に鞍掛石
          ”くらかけ石”の旧跡…も今は更地!?
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<小新屋(こにや)>がある。:大地農園アースマターズ…現:太陽光パネルが並ぶだけ…前の車道沿い芝生空地にあったが其れも今はない(昭和61年頃に移設!?) 岩尾城を攻める織田方の武将が岩尾城を望む此の付近で馬を降り、高さ約1m・長さ2.30m・幅約2m程の石に鞍を掛けて休んだと云う。
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岩尾城へ投降を勧める矢文を放った「矢の尻」と云う場所もあると聞く!!?。丹波志(和田本)には金鶏伝説を伝える:此の辺りの長者が夢の中で此の石に近づいたところ、石の下から鶏の声が微かにするので石を引き起こすと、金の鶏が三羽出てきたかとおもうと、石金山から白羽の矢が降りそそぎ目が覚めたと云う。どういう意味があったのかな…?。元日には此の石の下から鶏鳴が聞こえるとも伝わる。

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