藍丸山砦 三田市藍本
藍本駅から酒垂神社を経て虚空蔵山へ舞鶴自動車道下に向かい虚空蔵山登山コースを歩き出す道すがら、集落と耕作地に囲まれた西方に比高20m程の小さな雑木の丘が藍岡山城(築山城・藍丸山城)だが、集落内の車道で JR篠山線ガードを東へ抜け出るとR176号。正面東南方向・田圃の中の低い独立丘陵が藍丸山砦です…
模擬櫓型丸山砦の休憩展望所国道筋は緩やかな上り坂の先の左カーブを下ると摂津・丹波国境の武庫川を渡る:丹波篠山に入る要衝にある日出坂。虚空蔵山を背にする藍本庄の山裾:には市場・旅籠が並び宿場町として市をも設け、宿・市場官吏の岡山城(丸山城)・日出坂の往来監視として藍岡山城の出曲輪的存在の丸山砦が機能していたか?。
丸山砦から日出坂(右手端を曲がり下ると摂丹国境)藍丸山砦は嘉吉の乱に加わった赤松一族の赤松教康が自刃・其の子:千童丸が伊勢に逃れ後応仁の乱の軍功からか!義尚(よしひさ)第9代将軍に仕え、此の地に城を築き藍氏を名乗り藍岡山城を築き初代城主赤松伊勢守康則となり丸山出城(砦)に藍帯刀を置いた…。藍岡山城は2代加賀守と続き3代出雲守房清の天正7年(1579)?
丸山砦から本拠:藍岡山城(舞鶴自動車道下左手の小丘)(天正2年摂津守護となった有岡城荒木村重が三田方面にも勢力を拡げ此処へも侵攻し山口丸山城・岡場城・藍岡山城と藍丸山砦を落とし、三田城の有馬国秀も村重に従った!?、唯:蒲公英城(松原城)は天正6年は三木城包囲の秀吉に叛き三田城に入った荒木村重を攻める付城として改修されたか?。
小独立丘稜:丸山砦(北面の桜公園!からは呼応する藍岡山城は上画像)
以前はなかった城趾案内板立つが天正7年?とあり…一寸引っかかりを感じで補足した…独立小丘陵:藍丸山は山際に数軒民家が建ち、山上砦跡には日出坂弁財天の祠だけがポツンと祀られていたが、往時は藪だった北斜面(国道側)には桜木植樹の数段の曲輪!?段をみる。弁財天の隣:曲輪段の最上部には模擬櫓型丸山砦の
桜木植樹の為の曲輪段?上部に模擬櫓の展望所休憩展望所が設けられ・此処が日出坂で舞鶴自動車道の走る旧峠は辿れないが、 大きく弧を描いて丹波篠山と摂津三田・大阪への国境ともなる交通の要衝です。丹波杜氏(酒造りの蔵人)の持つ高い醸造技術や勤労態度が受け酒造元の伊丹・宝塚(清酒発祥地)へは篠山から池田街道を伊丹街道へ…:灘五郷(西宮・灘や御影)へは
弁天社と模擬櫓型展望所 日出坂を越え向かった主要道。丹波杜氏の出稼ぎ等・他所奉公や百日稼ぎは禁じられていたが、長引く酒造りの出稼ぎ禁足令による生活の困窮に寛政年間…江戸詰めの藩主青山忠裕(ただやす)負け嫌い稲荷伝説の時の藩主への市原村の清兵衛直訴に、秋の彼岸から春三月までの百日稼ぎは勝手次第と禁制を解除された。
丸山砦の案内説明板…
♪丹波出るときゃ涙で出たか藍の日出坂唄で越す…♪。 東に流れる武庫川に挟まれた平野に拡がる田園の中央部に低い丘陵が延びています。その一番北端の独立丘陵上に藍丸山砦があって藍帯刀が拠ったといわれます。藍岡山城の出城・砦として機能していたと思われるが城史・伝承はなく遺構も判然とはしない。
麓から比高20m程:土塁等弓矢の遮蔽防禦もない模擬櫓展望所東西は急峻な崖となり、 北東側からの参道(階段)を登ると山頂部の平坦地に弁財天を祀る社があり南端に土塁跡、西側に腰曲輪を思わせる平坦な場所も見受けられます。この丸山山頂に祀られた弁財天の社と丁子源蔵の石碑は国道176号線建設に伴い 明治28年(1895)此処に移転された伝承内容は藍丸山砦の項を…
模擬櫓型丸山砦の休憩展望所国道筋は緩やかな上り坂の先の左カーブを下ると摂津・丹波国境の武庫川を渡る:丹波篠山に入る要衝にある日出坂。虚空蔵山を背にする藍本庄の山裾:には市場・旅籠が並び宿場町として市をも設け、宿・市場官吏の岡山城(丸山城)・日出坂の往来監視として藍岡山城の出曲輪的存在の丸山砦が機能していたか?。
丸山砦から日出坂(右手端を曲がり下ると摂丹国境)藍丸山砦は嘉吉の乱に加わった赤松一族の赤松教康が自刃・其の子:千童丸が伊勢に逃れ後応仁の乱の軍功からか!義尚(よしひさ)第9代将軍に仕え、此の地に城を築き藍氏を名乗り藍岡山城を築き初代城主赤松伊勢守康則となり丸山出城(砦)に藍帯刀を置いた…。藍岡山城は2代加賀守と続き3代出雲守房清の天正7年(1579)?
丸山砦から本拠:藍岡山城(舞鶴自動車道下左手の小丘)(天正2年摂津守護となった有岡城荒木村重が三田方面にも勢力を拡げ此処へも侵攻し山口丸山城・岡場城・藍岡山城と藍丸山砦を落とし、三田城の有馬国秀も村重に従った!?、唯:蒲公英城(松原城)は天正6年は三木城包囲の秀吉に叛き三田城に入った荒木村重を攻める付城として改修されたか?。
小独立丘稜:丸山砦(北面の桜公園!からは呼応する藍岡山城は上画像)
以前はなかった城趾案内板立つが天正7年?とあり…一寸引っかかりを感じで補足した…独立小丘陵:藍丸山は山際に数軒民家が建ち、山上砦跡には日出坂弁財天の祠だけがポツンと祀られていたが、往時は藪だった北斜面(国道側)には桜木植樹の数段の曲輪!?段をみる。弁財天の隣:曲輪段の最上部には模擬櫓型丸山砦の
桜木植樹の為の曲輪段?上部に模擬櫓の展望所休憩展望所が設けられ・此処が日出坂で舞鶴自動車道の走る旧峠は辿れないが、 大きく弧を描いて丹波篠山と摂津三田・大阪への国境ともなる交通の要衝です。丹波杜氏(酒造りの蔵人)の持つ高い醸造技術や勤労態度が受け酒造元の伊丹・宝塚(清酒発祥地)へは篠山から池田街道を伊丹街道へ…:灘五郷(西宮・灘や御影)へは
弁天社と模擬櫓型展望所 日出坂を越え向かった主要道。丹波杜氏の出稼ぎ等・他所奉公や百日稼ぎは禁じられていたが、長引く酒造りの出稼ぎ禁足令による生活の困窮に寛政年間…江戸詰めの藩主青山忠裕(ただやす)負け嫌い稲荷伝説の時の藩主への市原村の清兵衛直訴に、秋の彼岸から春三月までの百日稼ぎは勝手次第と禁制を解除された。
丸山砦の案内説明板…
♪丹波出るときゃ涙で出たか藍の日出坂唄で越す…♪。 東に流れる武庫川に挟まれた平野に拡がる田園の中央部に低い丘陵が延びています。その一番北端の独立丘陵上に藍丸山砦があって藍帯刀が拠ったといわれます。藍岡山城の出城・砦として機能していたと思われるが城史・伝承はなく遺構も判然とはしない。
麓から比高20m程:土塁等弓矢の遮蔽防禦もない模擬櫓展望所東西は急峻な崖となり、 北東側からの参道(階段)を登ると山頂部の平坦地に弁財天を祀る社があり南端に土塁跡、西側に腰曲輪を思わせる平坦な場所も見受けられます。この丸山山頂に祀られた弁財天の社と丁子源蔵の石碑は国道176号線建設に伴い 明治28年(1895)此処に移転された伝承内容は藍丸山砦の項を…
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