小新屋観音(伝承Ⅱ) 手押し車 丹波市
小新屋観音(石金山常照寺)は明治新政府による廃仏毀釈に寺院は廃され:其の址を遺すのみだが古より手足の病気や病気回復に霊験あらたかな観音様として信仰帰趨の霊場として、松葉杖にすがって来拝し・帰りには杖を納めて下山する霊験は枚挙に暇なし!と云い、境内に石舟”(宇堂床)伝承Ⅰを参照”の置かれた堂内には
松葉杖や義足…履き物等の他:由来の手押し車が奉納されており此れに纏わる伝承がある。小新屋観音はご本尊に十一面観音・両脇侍仏に毘沙門天像(伝:弘法大師作)・不動明王像(伝:智証大師作)を祀り古より足の病に霊験ありとされ遠く播磨や但馬等各地からの参拝者も多く、境内の桜・紅葉は知られざる名所だった…
小新屋観音の(旧)屋形橋
…が…いまは丹波市紅葉の観光名所スポットの一つになってしまった!
本堂正面:谷川に架かる屋形橋も珍しいが屋根下には満願成って平癒・快復したため奉納された木造りの手押し車が掛けられていた。屋形橋はコンクリート橋に付替えられ、其の中に一際目を惹く一台の手製の手押し車があり、
台車の底には「足悪く手押し車に吾が娘乗せ京より参る 小新屋観音」と書かれていた。現在は屋形(廊下)橋はコンクリート橋に付け替えられたが小新屋観音正面観音堂の屋根下・袋戸の上に乗せてある手押し車の住所を手掛かりに地区の故:佐山某氏が調査され・親子の遠縁にあたる方々と出会われ
小新屋観音に御参りされ手押し車や名前等を確認されている。手押し車は屋形橋から本堂廻廊…さらに廻廊から袋戸棚の上に上げられていたが…その戸棚の側に立て掛けられ:薄れかけているが「京都府xxx…」の墨字が薄く残る。1カ月余りを篭り堂で祈願していた父娘に・食事を運んだり…何くれとなく面倒を看。
援助・励ました地元の人達の厚い心根と、信仰心は今も息衝いているようで清々しい気持ちになる。石舟(宇堂床)に乗る観音像の周りには祈願者が不要となった松葉杖・義足・履物類等が奉納されていた…。
慧日寺の屋形橋
大正12年(1923)秋:京都:右京区梅ヶ畑の一ノ瀬村より・不自由な娘さんの足をなんとか治してやりたい一心で、霊験を伝え聞いた父親が手押し車に乗せて小新屋観音へ詣ってこられ・観音堂を守る地区の人々も参詣の人々を温かく迎えていました。暖かい励まし・支えもあって父娘は籠り堂に寝起して一心に観音に祈願…
一ヶ月程経ったある日・娘さんは遂に一人で歩けるまでに快復し・感謝し喜び・手押し車を観音堂に奉納して京に帰っていった。このお話は和田小学校PTAにより人形劇として昭和60年(1985)本尊:十一面千手観世音菩薩開眼供養の際に上演された。
(現地:小新屋観音及び石船由来等案内板 ・地元の奉仕会メンバ作成の栞を参照)
北播磨・丹波国境の石金山より西脇市方面播州からは姫路の円教寺・加西の一乗寺を、摂津方面は中山寺・花山院・清水寺から、丹後:成相寺・松尾寺を結ぶ其の中間付近にあり、西国三十三ヶ所観音霊場巡りの道すがら・足の病に霊験あると播州・但馬からも小新屋観音に参詣する人は多かったという。
松葉杖や義足…履き物等の他:由来の手押し車が奉納されており此れに纏わる伝承がある。小新屋観音はご本尊に十一面観音・両脇侍仏に毘沙門天像(伝:弘法大師作)・不動明王像(伝:智証大師作)を祀り古より足の病に霊験ありとされ遠く播磨や但馬等各地からの参拝者も多く、境内の桜・紅葉は知られざる名所だった…
小新屋観音の(旧)屋形橋
…が…いまは丹波市紅葉の観光名所スポットの一つになってしまった!
本堂正面:谷川に架かる屋形橋も珍しいが屋根下には満願成って平癒・快復したため奉納された木造りの手押し車が掛けられていた。屋形橋はコンクリート橋に付替えられ、其の中に一際目を惹く一台の手製の手押し車があり、
台車の底には「足悪く手押し車に吾が娘乗せ京より参る 小新屋観音」と書かれていた。現在は屋形(廊下)橋はコンクリート橋に付け替えられたが小新屋観音正面観音堂の屋根下・袋戸の上に乗せてある手押し車の住所を手掛かりに地区の故:佐山某氏が調査され・親子の遠縁にあたる方々と出会われ
小新屋観音に御参りされ手押し車や名前等を確認されている。手押し車は屋形橋から本堂廻廊…さらに廻廊から袋戸棚の上に上げられていたが…その戸棚の側に立て掛けられ:薄れかけているが「京都府xxx…」の墨字が薄く残る。1カ月余りを篭り堂で祈願していた父娘に・食事を運んだり…何くれとなく面倒を看。
援助・励ました地元の人達の厚い心根と、信仰心は今も息衝いているようで清々しい気持ちになる。石舟(宇堂床)に乗る観音像の周りには祈願者が不要となった松葉杖・義足・履物類等が奉納されていた…。
慧日寺の屋形橋
大正12年(1923)秋:京都:右京区梅ヶ畑の一ノ瀬村より・不自由な娘さんの足をなんとか治してやりたい一心で、霊験を伝え聞いた父親が手押し車に乗せて小新屋観音へ詣ってこられ・観音堂を守る地区の人々も参詣の人々を温かく迎えていました。暖かい励まし・支えもあって父娘は籠り堂に寝起して一心に観音に祈願…
一ヶ月程経ったある日・娘さんは遂に一人で歩けるまでに快復し・感謝し喜び・手押し車を観音堂に奉納して京に帰っていった。このお話は和田小学校PTAにより人形劇として昭和60年(1985)本尊:十一面千手観世音菩薩開眼供養の際に上演された。
(現地:小新屋観音及び石船由来等案内板 ・地元の奉仕会メンバ作成の栞を参照)
北播磨・丹波国境の石金山より西脇市方面播州からは姫路の円教寺・加西の一乗寺を、摂津方面は中山寺・花山院・清水寺から、丹後:成相寺・松尾寺を結ぶ其の中間付近にあり、西国三十三ヶ所観音霊場巡りの道すがら・足の病に霊験あると播州・但馬からも小新屋観音に参詣する人は多かったという。

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