穴口城と姫塚 三田市

R176号「四ツ辻」交差点の西北角には何気なく通り過ぎる際にも目立つ”味くらべ寿侍路”の大きなサインボードが立ち、ランチや早めの夕食を済ませようと走っていても近くに店が殆どなかった頃から、メニューが多く:美味しくて落ち着ける雰囲気のファミレスとしてよく利用していた(現:コンビニ)。
       中の池から火燈(ひともし)山【点名:上相野】中央奥
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小上がり座敷からは窓の外:北方に連なる丘陵の小さな起伏のなかに穴口山城があり南山麓に北攝三田福祉の里の各種施設「アルカディアあいの病院」と介護老人保健施設・丹波街道(R176号)を走る車を眼下に見通す位置の東山裾端に津田病院があり西安大池・対峙する須磨田山塊南端に位置する
           火燈山(点名:上相野)山頂
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黒谷山374mとの間を抜ける街道監視・警備の丸山城の砦ではなかったか?山に惹きつける魅力があるわけでもなく 一般ハイカーには対象外の低山・知名度さらにない藪の穴口山320mに落城秘話が伝わる。穴口姫の伝承に見るような戦いがあったとも思えないが「北摂三田福祉の里」勝谷側の集落・田畑・池周辺に
           穴口城(本丸と東曲輪)
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武家集団の屋敷跡を思わせる場所が多い!ので伝説「姫塚」の場所が城主の居館跡なのか…!?。城趾は波田山大師の峠を越え丹波方面へ抜ける要衝に位置するが小規模な単郭で堀切・土塁や曲輪の段差も不明確:顕著な遺構は未確認。城の南麓には落城の際:自害した姫の霊は後に:穴口氏子孫により「姫塚」として伝えられ
          穴口城・本郭直下は自然の要害
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懇ろに祀られている…と云う:勝谷大池・戎神社・こぶし山公園付近と思えるが…?場所は知らない。天正6年(1578)頃:織田信長の摂津・播磨平定の羽柴筑前守秀吉軍が穴口城を望むR176号「長坂(四辻交差点の約1.5km大阪寄り:長坂中学校附近か?…
             穴口山山頂
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武庫川沿いのJR広野駅付近まで延びる緩斜面…」まで来て小休止したものか「秀吉の槍立て松」の名が残る。直ぐ北西・目の前:東本庄勝谷の穴口山城主・穴口佐兵衛尉の小城を取囲む。小城に拠る佐兵衛尉や将兵らは石や丸太を落して抗戦・大軍を前にして敗戦は覚悟。うっかり攻められないと秀吉は暫らく様子をみる。
        R176号から穴口山城の遠望
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秀吉得意の干殺し戦法(兵糧攻め)かと佐兵衛尉は姫を呼び寄せ「このままでは干殺しされてしまうので、明朝:城を討って出て本庄侍の意地を見せてやる。お前は其れまでに城を出て落ち延びよ…」と形見の小刀を胸に姫は明け方に城を抜け出し
           波田橋南詰めの板碑
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麓に辿り着くが敵兵に見つかり、必死に逃れるが遂に囲まれてしまった姫は「此れが最後!本庄乙女の意地をしっかりと見やれ」と・父の形見となった小刀で自害して果てる(三田のおはなし参照)。尚:R176号「四ツ辻」交差点を東へ入る東本庄には森本城・本庄丸山城(森鼻城)がある。

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