四方田政孝と四方田政実(Ⅱ) 丹波市

四方田(四王天)政孝・政実兄弟が棲んだ"四方田館…(四方田政孝屋敷)”は直ぐ東の○○信金角を北に折れるのが金山城・鐘ヶ坂から八幡神社前を但馬へ抜ける篠山街道との分岐点。東へ直進8-90m程に「田ステ女生誕地」石碑・20m先の石田本通り(大歳神社に移設された柏原藩の太鼓櫓<つつじ太鼓>)からのT字辻に丹波新聞社
         柏原藩織田家つつじ太鼓
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隣接する西楽寺(山陰鎮撫隊:西園寺公の本陣となった・田ステ女の歌碑もたつ)・北側一帯(旧?市場町)はイベント会場(TAMBA HAPPiNESS MARKET-うまいもんフェスタ-柏柏原藩織田まつり参加者の最終休憩所)となる広場・観光駐車場・丘陵上が柏原八幡神社-広場の北奥に柏原八幡の弁天社がある。
        清水山(左)・高八山(中央)・譲葉山(右奥)・入船山(右手前・八幡山城)
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明智方陣所”八幡山城(加伊原新城?)”を築き天正7年(1579)高見城赤井忠家が僅か200余りの城兵を残して黒井城へ応援に出た留守中を明智十郎左衛門・藤田伝吾・四方田政孝等1200の兵で攻めたてた。城兵は城を出て山中に散り松明を目標に抵抗・その時・陣幕の中にあった光秀の傍らにウナリを立てて矢が突き刺ささる・
      弁天社の島:東西四隅:石が突き出す。謂れ不知だが島全体が御輿のよう
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矢尻には”土屋”の刻印:矢匠土屋邸に追っ手を向けたが土屋の娘は高見山城主の奥方。八幡神社下の池の畔で”火あぶり”の刑に処せられ土屋家は絶えた。其の後:八幡社付近に夜毎呻き声や怪しげな火の玉が出ると噂が立ち、人々が池の真ん中に弁才天を祀り供養したところ亡霊は出なくなったという。矢匠土屋家の無念の霊は明智に祟って一矢を酬いる事は出来たのでしょうか?。
             高八山城主郭背後の土橋付き堀切
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旧”屋敷門”跡民家が「土屋」姓なので驚いたが「四方田館」後の住居者が:数10代続くという土屋家…。天正3年(1575)丹波攻略に丹波へ侵攻する光秀を内藤氏らと老ノ坂に迎え家臣となり軍功を重ね翌4年信長が石山本願寺「石山合戦」に天王寺に陣した際は兄弟で従軍し信長に拝謁し杯を賜わり:天正6年八上城攻めでは部将として
         猪崎城主郭から南面に廻り込む土塁空堀
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更に黒井城落城後も福知山城前身(横山城)・猪崎城鬼ヶ城544mに篭城する荻野氏配下の釈迦牟尼仏(みくるべ)氏・久下氏・長沢氏・並河氏・宇津氏…ら丹波諸城の一部が退いて高見城等にも拠って抵抗。丹波国支配を任された光秀家臣として四方田政孝兄弟は福知山城代として一時丹波領内に一万石の知行を得て留まり、
         鬼ヶ城南曲輪虎口の石垣(木戸跡か!!)
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天正7年9月?には未だ健在だった黒井城・高見城(赤井五郎)攻略に自ら加伊原新城…?に出陣…。光秀や細川藤孝の侵攻に本拠:黒井城へ駆けつけた留守中を藤田伝五らが攻め落とす。天正10年6月光秀は本能寺に信長を襲い・森蘭丸を討ち?、織田信忠を二条城に攻めているが光秀が”山崎の戦い”に小栗須で刺された頃:
        旧”門屋さん”(四方田屋敷)から:正面に小南山城・左方遠くに高見城…
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既に政孝は討死していた。四方田氏先祖は武蔵武士団:児玉党の党祖:政実は落ち延び紀州の青木秀以に召抱えられ:越前大野への移封に付き従い・越前舟橋奉行として守りに就き青木氏没後:越前に入封の北ノ庄藩初代藩主:結城秀康に仕え、家臣として再度舟橋奉行に任じられた。
         独立”四方形!”丘陵の小南山全景
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福井市舟橋町の越前舟橋(現:九頭竜橋)に「四王天但馬守事績碑」が残る。四方田政孝は敗死・政実も紀州に逃れ…明智憎し…の丹波国内に…まして信長の弟:信包が柏原藩初代藩主として入封…明智方の将:四方田氏の遺産:屋敷門が残されること自体希有なこと!!。再度門屋:四方田館に戻ることはなかったよう。
        茶臼山砦:土橋付堀切?
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茅葺き屋敷門は10数年毎に葺替える必要があり…由緒ある!?”門”だが維持管理面から近年:撤去された。篠山街道が○○信金側で北に向かう交差点・西に50m程に門屋さん・南に折れると旧日赤病院前をJR柏原駅・柏原八幡の弁天社から西方正面に小南山城(四方の稜上に城砦遺構が存在する)・西裾(旧柏原病院)から室谷
       小南山山麓・”恩鳥坂の戦い”戦死者供養:室谷の地蔵堂
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おさん茂兵衛が越えた恩鳥峠(金山城から侵攻の明智軍を高見城・穂壷城からの丹波勢が迎え撃つ”恩鳥坂の戦い(室谷地蔵堂の項)”が天正6年?頃あり明智方が敗走)・茶臼山砦(光秀”諭しの山”伝承がある)麓から母坪城…へと、歴史と伝承地が続く。
 栢原町志 …等参照

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