新発意(しんぼち)踊り 丹波市
氷上町石生/柏原境の南多田大歳神社の秋の祭礼に奉納される新発意(しんぽち)踊りは"雨乞いや五穀豊穣・天下泰平"の念仏踊りに田楽を取り入れ変化してきた”住吉踊(大阪市住吉大社)”は全国的に流布され和歌山田辺市・愛知一宮市・奈良市の砂かけ祭も水田を耕す牛に砂を掛け雨を表現する御田祭(御田植祭)…等があり、
僧衣の新発意の振る団扇(軍配)に合わせて踊る画像は全て南多田:新発意踊りからその多くは太鼓の音に合わせ・中世後期に流行した風流踊の踊歌を歌いながら単調な所作で踊るのが特徴で、雨乞いや五穀豊穣を祈る踊りが起源と伝わる。黒井城主:荻野直正の出生地:赤井氏本拠の赤井野・氷上町谷村の”新発意踊り”として伊尼神社の例祭に奉納される(無形民俗文化財:昭和45年2月17日指定)も道謡(みちうた)・
羯鼓を打つ少女と新発意屋敷おどり・具足おどり・車おどり…等種目があり:頭(新法師)1名・紋付き袴の音頭取・菅笠に袴姿の太鼓打や踊り子が多数…大新屋新法師おどり(無形民俗文化財:昭和53年10月18日指定)も谷村”新発意踊り”同様…友禅の着物に手甲・袴のカンコ打ちや音頭取が数名…と役があり、先頭に赤鉢巻の頭・後に並び踊り子が豆絞りの鉢巻・
友禅の着物にタスキ掛け、右手に団扇・左手に杖の先に瓢箪を付けたものを持ち踊る。念仏踊りの変化した雨乞い踊りであったらしい。「新発意」・「新法師」は共に仏門に入って間もない僧呂の意か!。丹波地域でも丹波市内には翁三番叟も数ヶ所(神社が台風の倒壊し休演・再会未もあるが)伝えられている。古い伝統と形式を持つ民俗芸能”丹波猿楽”の舞堂が狭宮神社(山南町和田)にある。
狭宮神社本殿室町時代の発祥ともいわれ慶安年間(1648ー1651)頃より伝わったものか天下泰平・五穀豊穣を祈願して神社や寺に奉納される踊りだが、天保年間(1830ー43年)の水饑饉に”雨乞い祈願を奉納されてより”雨乞い踊り”といわれ、またこれを奉納するのに米百石を要したことから百石踊りともいわれている。
狭宮神社拝殿前の茅の輪くぐり甚だしい旱魃に遭い・農民の命がけの水乞いに旅の雲水から教えられた踊り:以後:雨乞い踊りとなったともいわれ、頭は新法師行脚姿の墨染法衣・法師笠・瓢箪の杖を持つ一名:音頭取・大太鼓打ち・鞨鼓打ち等が夫々が特色ある衣装を纏い、踊り子多数とともに単調だが16拍子・32拍子等の拍子があり入端・露の踊・菅笠踊等
谷村の伊尼神社幾種か踊りあり、明治時代に至るまで雨乞い行事として行なわれて来たが、多田も谷村も同じように廃れて一時期は復興していた…が、何れも大正3年ー大正6年の大旱魃の際:地元有志による保存活動に踊り復興、大歳神社の舞堂で夜間稽古を積んで、秋分の日に奉納し、その後も保存会をつくって今日に至っている。『氷上郡の文化財』氷上郡教育委員会 1989…等より
僧衣の新発意の振る団扇(軍配)に合わせて踊る画像は全て南多田:新発意踊りからその多くは太鼓の音に合わせ・中世後期に流行した風流踊の踊歌を歌いながら単調な所作で踊るのが特徴で、雨乞いや五穀豊穣を祈る踊りが起源と伝わる。黒井城主:荻野直正の出生地:赤井氏本拠の赤井野・氷上町谷村の”新発意踊り”として伊尼神社の例祭に奉納される(無形民俗文化財:昭和45年2月17日指定)も道謡(みちうた)・
羯鼓を打つ少女と新発意屋敷おどり・具足おどり・車おどり…等種目があり:頭(新法師)1名・紋付き袴の音頭取・菅笠に袴姿の太鼓打や踊り子が多数…大新屋新法師おどり(無形民俗文化財:昭和53年10月18日指定)も谷村”新発意踊り”同様…友禅の着物に手甲・袴のカンコ打ちや音頭取が数名…と役があり、先頭に赤鉢巻の頭・後に並び踊り子が豆絞りの鉢巻・
友禅の着物にタスキ掛け、右手に団扇・左手に杖の先に瓢箪を付けたものを持ち踊る。念仏踊りの変化した雨乞い踊りであったらしい。「新発意」・「新法師」は共に仏門に入って間もない僧呂の意か!。丹波地域でも丹波市内には翁三番叟も数ヶ所(神社が台風の倒壊し休演・再会未もあるが)伝えられている。古い伝統と形式を持つ民俗芸能”丹波猿楽”の舞堂が狭宮神社(山南町和田)にある。
狭宮神社本殿室町時代の発祥ともいわれ慶安年間(1648ー1651)頃より伝わったものか天下泰平・五穀豊穣を祈願して神社や寺に奉納される踊りだが、天保年間(1830ー43年)の水饑饉に”雨乞い祈願を奉納されてより”雨乞い踊り”といわれ、またこれを奉納するのに米百石を要したことから百石踊りともいわれている。
狭宮神社拝殿前の茅の輪くぐり甚だしい旱魃に遭い・農民の命がけの水乞いに旅の雲水から教えられた踊り:以後:雨乞い踊りとなったともいわれ、頭は新法師行脚姿の墨染法衣・法師笠・瓢箪の杖を持つ一名:音頭取・大太鼓打ち・鞨鼓打ち等が夫々が特色ある衣装を纏い、踊り子多数とともに単調だが16拍子・32拍子等の拍子があり入端・露の踊・菅笠踊等
谷村の伊尼神社幾種か踊りあり、明治時代に至るまで雨乞い行事として行なわれて来たが、多田も谷村も同じように廃れて一時期は復興していた…が、何れも大正3年ー大正6年の大旱魃の際:地元有志による保存活動に踊り復興、大歳神社の舞堂で夜間稽古を積んで、秋分の日に奉納し、その後も保存会をつくって今日に至っている。『氷上郡の文化財』氷上郡教育委員会 1989…等より
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