曽我井城(居館!) 小野市
曽我井城(小野市復井町)は加古川本流が北方から東南へ流れが屈曲する右岸の河岸段丘先端に築かれており、河岸段丘の北東端に位置する高い崖を形成する段丘崖上に主郭?が置かれていたか?。元山林?(雑木藪)が戦後開墾されていた様だが、
城域一帯が農園:立入り禁止の曽我井城(主郭側)圃場となった後の遺構状況(曲輪・堀・土塁…等)は不明・遺跡・遺物の出土も未発見…。一帯はフエンスで囲まれ・高い切岸ともなる南口から斜上する車道入口は堅固な鉄柵…!で塞がれ立入禁止状態。城域西端の農業倉庫側の内池?は壕跡?
八王子神社の杜:三町合同公園(副郭?)南面二段曲輪状西方へは三町合同公園・八王子神社・復井会館・金剛寺が田圃に囲まれ畦状に地区道が通じる平坦地形が続くだけだが、城趾から金剛寺へ延びる南面は傾斜を強める一画。西側はJR加古川線・県道249号へと圃場が続くが、
三町合同公園と八王子神社の杜(北面裾は水田)集落部西端の八王子神社から金剛寺にかけての一画は城域西面・南面防禦体制を整えている様で、北部の主郭と西部を副郭で構成された城域の様。南面・西面高所に位置する金剛寺を監視砦、北面・西面を田圃に囲まれてる八王子神社の小さな杜も神社周囲の土塁状は境内削平時の残土処理だが、
神社整地の残土土塁(手前)の奥に土塁囲み堀跡…!排水処理とは思えぬ:折れを伴う土塁と堀・削平地からも、曽我井城主郭部?に遺構が見られない分・神社・寺部を副郭部と推定する。北に加古川が・東は約10m程の段差…自然地形を巧みに利用している。小野市の北部で加古川が
八王子神社:小野市指定樹林第1号「シイノキ」大きく西・南へと湾曲する位置。城があったとされるところは周囲よりも高台になっている台地にあり実に巧妙な地形に守られている。兵庫県の中世城館・荘園遺跡(昭和57年3月 県教育委員会)」調査報告書に:城趾の詳細は不明だが、
八王子神社:土塁に沿う空堀室町幕府御家人蔭山氏の居館と考えられ、小字「オヤシキ」・トへ(土塀)ノ内…などの地名が残るという。遺構は明瞭でないが唯一西側へは緩斜面の地続き…防禦面からも蔭山氏と北播磨の国人領主との関連等が解明されれば…。
金剛寺も副郭?(西郭部)西南端の高台に位置する砦!?遺構もなく立入り禁止の曽我井城を訪ねることは無い…と思っていたが”介護老人保健施設:薫風苑”入所説明に窺ったのを契機に真南の至近距離にある曽我井城を目指すが、加古川線を南へ越える道がなくJR青野ヶ原駅前経由での遠廻りで…現地?に着く。帰路に見つけた平安時代:小野篁由緒の”あごなし地蔵”は次回に…
城域一帯が農園:立入り禁止の曽我井城(主郭側)圃場となった後の遺構状況(曲輪・堀・土塁…等)は不明・遺跡・遺物の出土も未発見…。一帯はフエンスで囲まれ・高い切岸ともなる南口から斜上する車道入口は堅固な鉄柵…!で塞がれ立入禁止状態。城域西端の農業倉庫側の内池?は壕跡?
八王子神社の杜:三町合同公園(副郭?)南面二段曲輪状西方へは三町合同公園・八王子神社・復井会館・金剛寺が田圃に囲まれ畦状に地区道が通じる平坦地形が続くだけだが、城趾から金剛寺へ延びる南面は傾斜を強める一画。西側はJR加古川線・県道249号へと圃場が続くが、
三町合同公園と八王子神社の杜(北面裾は水田)集落部西端の八王子神社から金剛寺にかけての一画は城域西面・南面防禦体制を整えている様で、北部の主郭と西部を副郭で構成された城域の様。南面・西面高所に位置する金剛寺を監視砦、北面・西面を田圃に囲まれてる八王子神社の小さな杜も神社周囲の土塁状は境内削平時の残土処理だが、
神社整地の残土土塁(手前)の奥に土塁囲み堀跡…!排水処理とは思えぬ:折れを伴う土塁と堀・削平地からも、曽我井城主郭部?に遺構が見られない分・神社・寺部を副郭部と推定する。北に加古川が・東は約10m程の段差…自然地形を巧みに利用している。小野市の北部で加古川が
八王子神社:小野市指定樹林第1号「シイノキ」大きく西・南へと湾曲する位置。城があったとされるところは周囲よりも高台になっている台地にあり実に巧妙な地形に守られている。兵庫県の中世城館・荘園遺跡(昭和57年3月 県教育委員会)」調査報告書に:城趾の詳細は不明だが、
八王子神社:土塁に沿う空堀室町幕府御家人蔭山氏の居館と考えられ、小字「オヤシキ」・トへ(土塀)ノ内…などの地名が残るという。遺構は明瞭でないが唯一西側へは緩斜面の地続き…防禦面からも蔭山氏と北播磨の国人領主との関連等が解明されれば…。
金剛寺も副郭?(西郭部)西南端の高台に位置する砦!?遺構もなく立入り禁止の曽我井城を訪ねることは無い…と思っていたが”介護老人保健施設:薫風苑”入所説明に窺ったのを契機に真南の至近距離にある曽我井城を目指すが、加古川線を南へ越える道がなくJR青野ヶ原駅前経由での遠廻りで…現地?に着く。帰路に見つけた平安時代:小野篁由緒の”あごなし地蔵”は次回に…
この記事へのコメント