あごなし地蔵 小野市
曽我井城から自宅への帰路に再度:加古川線“青野ヶ原駅”迄戻り県道349号へ逆戻りするのを避け・加古川線と加古川間を夏草の茂る幅狭い離道(里道)なのか地区道?を抜けて県道349号に出ようとして、道縁に「あごなし地蔵」石標と地蔵の祠を見つけた。石碑標は小野市内の伝承・遺跡・史跡地を示し案内文も加味された歴史探訪の指標ですネ。石碑文は冒頭から「隠岐国のあごなし地蔵」と呼ばれ…
もとは違う場所に祀られていたが「世の中へて 困っている人を治してやりたい」と言われこの道ばた(一車長の狭い道だが)へ移したと伝え"皮膚病・肺病・足腰の痛み・家庭内のいざこざ…等何ににでも霊験があると…。平安初期の公家で歌人:小野篁は承和5年(838)遣唐大使藤原氏の処遇に抗議し副使断り批判したことで嵯峨上皇の怒りをかって隠岐の島へ流されたとき、阿古という農夫が身の回りの世話をした…阿古は歯の病気に大層苦しんでおり、世話になったお礼にと
篁卿は地蔵菩薩を刻んで授け、阿古が祈願すると病が平癒した霊験に地蔵尊は島民の信仰を集めた…阿古直しが転訛しあごなし地蔵と呼称。伝承には阿古の娘:阿古那と恋に落ちたが、承和7年赦免され都へ返されることになり、別れを嘆き悲しむ阿古那に篁は自分の身がわりにと地蔵を刻んで与え・隠岐を離れた。いつしか阿古那地蔵があごなし地蔵と転訛し・さらに歯痛に効くとの信仰になり、阿古那地蔵に纏わる話は明治維新後の廃仏毀釈に像や伝承が各所に伝播していったものか?、中国・近畿・東海…各所には粗同内容の伝承が伝えられている。
もとは違う場所に祀られていたが「世の中へて 困っている人を治してやりたい」と言われこの道ばた(一車長の狭い道だが)へ移したと伝え"皮膚病・肺病・足腰の痛み・家庭内のいざこざ…等何ににでも霊験があると…。平安初期の公家で歌人:小野篁は承和5年(838)遣唐大使藤原氏の処遇に抗議し副使断り批判したことで嵯峨上皇の怒りをかって隠岐の島へ流されたとき、阿古という農夫が身の回りの世話をした…阿古は歯の病気に大層苦しんでおり、世話になったお礼にと
篁卿は地蔵菩薩を刻んで授け、阿古が祈願すると病が平癒した霊験に地蔵尊は島民の信仰を集めた…阿古直しが転訛しあごなし地蔵と呼称。伝承には阿古の娘:阿古那と恋に落ちたが、承和7年赦免され都へ返されることになり、別れを嘆き悲しむ阿古那に篁は自分の身がわりにと地蔵を刻んで与え・隠岐を離れた。いつしか阿古那地蔵があごなし地蔵と転訛し・さらに歯痛に効くとの信仰になり、阿古那地蔵に纏わる話は明治維新後の廃仏毀釈に像や伝承が各所に伝播していったものか?、中国・近畿・東海…各所には粗同内容の伝承が伝えられている。
この記事へのコメント